2021.01.08
2020.10.16
2020.10.11
(第5話)ミンダナオ島でネコとの暮らし
そんな、こんな、で・・・2人と3匹の暮らしが続いていたのだケンドも。
COVID-19でオロオロ、していたら・・・もう1匹家族になってしまった~。
名前は「モリさん」。モリンガ(マロンガイ)というフィリピンではよくスープに入れる
木の葉の下に隠れて泣いていたのを発見した女子高生がメルっちゃんに託したのだそうだ。
もう受け取ってしまっていたので拒否も出来ず・・・・
またもや動物病院ペットファーストへ。
この子は比較的にすぐよくなり良かった~。
年齢も状況も有るけど、モリさんはハチドンやプリンセス・ベルともすぐに慣れてきた。
相変わらず気難し屋さんのパイピィとは距離が有る物の・・・
この子が一番、怖いもの知らずかも~~!
2020.10.07
(第4話)ミンダナオ島でネコとの暮らし
今日は7月の投稿とかぶるケンドも・・・・
ウチの前の土地は公立アングリオント小学校に接していて・・・
引っ越してきてからずっと空き地。
ウチの脇の土地も・・・
それを良いことにゴミを捨ててったりネコを捨ててったり・・・
そこでCOVID-19でロックダウン。外出禁止時期を利用してご近所3軒3と協力。
空き地の清掃・・・・・
実際には30袋じゃ効かないゴミ出し。まだ埋もれてるのもあるけど・・
少しは綺麗になったのでスネークプラント(虎の尾)を植えて・・
10鉢分のブーゲンビリアの苗木を鉢植えした。
(なぜ、ブーゲンを鉢植えに下かと言うと・・・とちぜん、土地のオーナーがやってきて
このブーゲン達を自分の物だと、言うと嫌なので。そもそも土地のオーナーが管理・清掃すべきところだケンドも!)
清掃&緑化中は外ネコたちの居場所はウチの前だった~~~。
2020.10.05
2020.09.30
(第2話)ミンダナオ島でネコとの暮らし
はてさて、今日は第2話
2番目の保護ネコ、hachi-dong ハチドン。
去年の6月の事。この時も酷い雨の日が続いていた。
もうすでにウチの前の空き地に捨てられたネコ達が集まっていて
不憫に思った妻・メルっちゃんがCat Food のお裾分けを始めた。
その中に明らかに弱った子がいた。ほっといたら2~3日で死にそうな感じ。
雨どいのパイプから救出して一緒に暮らし始めたPipeyも当初は酷い状態だったが
ハチドンはもっと酷くクシャミを繰り返し右目がヤニで半分しか開かず・・・
仕方なく動物病院に通院。5回の通院処置で2週目ごろから元気になった。
そうなってくると・・・また、家の前の空き地に戻すわけにもいかず・・・
ウチの子になったのダス。
携帯電話サイズだった・・・
こんなハチドンも・・・
いまや立派?ないたずらネコ~~!
(ここではクシャミの事を、その音から子供用語で「ハッチン」と言い
また、男の子の事を「ドン」と呼んだりする。それでHach-Dong ハチドンとなずけた。
丁度、「せごどん」やってたのと顔の八割れ模様も含めて。)
2020.09.28
ミンダナオ島でネコとの暮らし(第1話)
こにゃにゃちは・・・
今一度、ネコとの暮らしについて書くダス。
発端はPipeyとの出会い。このミナポンのアーカイブスから2016年、7月21日の記事で書いたケンドも。
2005年に妻、メルっちゃん(現・Boss)と結婚して以来二人暮らしで気楽のやっていた。
そこに、何かの因縁でPipey がウチにやってきた。
最初は1~2日もてばいいかなぁ~可哀そうだなぁ~と、思ってたけど・・・
意外と強く、またメルっちゃんも随分と一生懸命手当した。5日間ほど動物病院ペットファーストに通院。
女医さんのジョアン先生のおかげサマンサタバサで元気になって・・・
結局、一緒に暮らすことに。
これが、ワシらのミンダナオ島保護ネコ暮らしの始まり。
勿論、家は狭い詞ネコのテリトリーを考えると1匹が限度で・・と考えていたが・・
Pipey,2016年
Hachi-Dong(ハチドン)2019年
Princess Belle(プリンセス・ベル)2019年
Miri-san(モリさん)2020年
と・・・なってしまった。
他にも家の外には15~6匹のメンバー達が朝・夕の食事配給を待ってる。
今の所、何とかやりくりしてるのが現状。
フィリピンでは保護ネコや保護犬の活動は貧弱で・・・
女医・ジョアン先生も個人的に保護や治療のサポートをしてるけど
個人で出来る範囲でやっていくしかないのダス~。
(第2話に続く)
2020.09.26
2020.09.09
2020.09.03
Sir,Terante 先生、安らかに
2003年から公私に渡りお世話になった。彼はフィリピンで尊敬できる人の一人だった。〝こころ〟のある音楽が一緒にできる音楽の友の一人でもあった。(写真・サックス奏者)カリナンのビオラフォルテ小学校校長、我がダバオ市のフィリピン日系人会国際学校小学部校長を歴任し彼の子供たちへの接し方をずっと見習って来た。リコーダーコンテストの活動も少年野球も多くの事を学ばせて頂いた。
どうしても顔が見たくてお通夜には何とか行けたけど葬式・埋葬にはこのCOVID-19のため行けなかった。ウチの近所にあるカーメライト女子修道院のチャペルの前で暫し祈った。天国でまた一緒に演奏しましょう。Sir.Terante...Ninong Terante...どうぞ安らかに。