遥かなる祖国
昨日、ダバオ日系人会会長ジュセブン氏とカリナン、そしてその先のタムガンに行って来た。カリナンへの目的はカリナン日本フィリピン歴史資料館から展示品を借り出すことである。今、ダバオは「カダヤワン祭り」に向けて猫も杓子もおおわらわだが、僕の関係しているダバオ日系人会、日系人会学校、ミンダナオ国際大学も8月30日から9月2日までの4日間、RP-Japann Festival(フィリピンー日本祭り)と言う行事を控えている。これは学園祭の様な物で、僕がこの行事に関わるのはこれで3年目。今年はミンダナオ国際大学の教室を使ってダバオ日系人会の展示ブースを作り学校内だけではなく一般の人達にも日系人会の事、戦前から入植していた日本人とフィリピンの人達の関係など理解を深めて貰おうという企画。その為の展示品の選定がカリナンでの第一目的。この他にも僕は日系人会学校、ミンダナオ国際大学が毎年この祭りで披露する和太鼓とお神輿のパフォーマンスの監督をやっている関係上、カリナンに保管してあるそちらの方の道具のチェックもあったのだが・・・。
タムガンへの目的は戦没者のための納骨慰霊塔の視察。僕の奥さんの実家もタムガンだが、そこよりも30キロ程山岳地帯に入ったあたりに戦時中、日本兵のキャンプがあり多くの戦没者が未だに草葉の陰に眠っている。もちろん戦争で亡くなったのは日本兵だけではなく現地のフィリピン人、アメリカ兵、沢山の人達の悲しい舞台となったのがこの場所だそうだ。沖縄のダバオ会(ダバオからの引揚者で構成される会)や日本フィリピンボランティア協会、ダバオフィリピン日系人会、そしてタムガン現地の人達の尽力でこの納骨慰霊碑が建てられた。僕はジュセブン日系人会会長のお供で残りの工事の進み具合、仕上げの確認等をチェックした。初めてこの碑をおとずれ、現地の人達によって山の中、谷の底から拾い集められた御遺骨に対面した後、眼下に広がる穏やかな山並みをみわたした時に感じた“せつない”さびしさは、おふくろが死んだ翌日、死亡届を提出するために役所に行く道すがら、やけに晴れ渡った空を眺めた時に感じたさびしさと同じだった。彼らにとっての日本は未だに「遥かなる祖国」なのだろうか。
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