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2005.11.30

続・ダバメル日本滞在記だポーン

ワシの友人・いのっこがドンがばちょとダバオに持ってきてくれた100円ショップの老眼鏡もステたもんじゃあ~りません!今日、フィリピンはボニファッショと言う独立時の英雄を称える日で祝日。昼間、二ヶ月ほど顔お見せていないメルスの実家タムガンに日本土産を届けに行って来た。そして続くぞ滞在記!DSC00392

日系人3世であり日本財団などの奨学金で何回か日本に来た事が有るイネスは初めてではないがメルスは生まれて初めてのBulletTrain(新幹線・超特急)にメルスはバリバリに乗っている。あきれてメルスを見るセイジ君。

イネスの兄弟達との待ち合わせは宇都宮、30分程の旅だった。DSC00403

駅では9人の家族と2人の友人が待っていた。宇都宮がいきなりダバオ化してしまったのダ。ワシらを入れて15人、2台のバンに分乗し昼ご飯の場所を物色しながら宇都宮クルージング。車の中はビサヤ語オンリー!みんなメチャ嬉しそう!ワシも嬉しくなるのダ。今日はアネゴ肌のイネスのおごり。この「まつのや」と言うファミレス、なかなかどうして旨かった。会計を済ませたイネスがドドッーとワシそばに来て、ひそひそ声のあざやかな日本語で「修二にいさん、今のイクラだったと思う?大人14人でお腹イッパイ・・・8千円チョットダヨ!」 見たか・聞いたか・してやったり・のオバサン顔でほくそえむイネスの顔にワシは思わず「がちょ~ん」 と言ってしまった。

つまようじくわえシーシー言いながら腹をさする一行を乗せてジャスコに寄ったり、質流れ屋に寄ったりしながらイネスの兄弟達が住む栃木に向かう。この日はイネスの弟ドニーの奥さんネルメン(彼女も子供の洗礼式の後、ドニーと一緒に日本に来ている)のお誕生日。栃木でささやかにお誕生会をするそうだ。イネスをフォローするのと暫く会ってない彼らの顔を見る為にやってきたワシとメルス、この日は早くアニキの所に帰ろうと思っていたが“お誕生日”と聞いちゃそのまま帰る訳にはいかない。フィリピンの人達のお誕生日の晩さんは全員でする“感謝のお祈り”から始まる。ワシらもせめてネルメンの為にお祈りしてから帰ろう、という訳。彼らの住む町は静かでイイ町。何かほっとする感じ。ダバオを遠く離れ日本で働く彼ら、ちょっと安心する。DSC00406

ドニーとネルメン。テーブルの上にはネルメンが作ったフィリピン料理が並ぶ。DSC00410

イネス達のナナイ(お母さん)と。DSC00415

黒のトレーナーがお気に入りのタタイ(お父さん)

そもそも今回のイネス達の日本旅行のメインの理由は・・・ナナイには「ひさこ」と言う日本名がある。ナナイは日系2世なのだ。この日系人とは未だに日系人と認められてない人も沢山いてフィリピンと日本、長年の問題を引きずったままでいる、と言ってもイイ程だ。ナナイの場合は幸運にも出生証明など日系としての身元を確認できる書類が残っていて正式に認められている。このナナイのおかげでイネス一家は比較的すんなりと日本での合法的な働き口を得る事が出来、就労ビザも取れる。しかし当のナナイはまだ一度も父の祖国、日本の地を踏んだ事が無い。ナナイの日本での手続きの事も有り、イネスの呼びかけで兄弟全員が負担しあってタタイとナナイを日本に招待したのだ。ワシはワシで自分の事、メルスとワシの事、とこの時期、来る必要があったのだが、本来イネス達は6月頃来る予定だったがワシらが9月後半に日本行きを予定している事を知り「一緒に日本に行けると楽しいネ」と、6月を延期(延期の理由は他にもあったが・・) しこの時期に合わせたのだ.。とにもかくにも・・・・お祈りをみんなでしてネルメンの美味しいフィリピン料理にほんの少し手を付けてワシとメルスはドニーに駅まで送ってもらい栃木のリトル・リトル・ダバオを後にした。今日はここまで・・・・CU

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2005.11.29

ダバメル日本滞在記、だもんね。

去る11月11日、ワシらは朝4時起きし、植木の水遣り、掃除、ゲストの朝食等ゲストハウスの仕事を済ませリネットに後をたのみダバオ国際空港に向かった。直通便はないくせに“国際空港”となってるが、良い所もあってココで面倒な出国手続きが済ませられ国内線でマニラまで行き国際線で成田だが荷物はマニラでいったんピックアップする必要はなくデリッチョ(直接・真直ぐの意)で成田に行く。荷物の限度はひとり20キロまで。超えると1キロあたり1300円ほど取られるのでキモチびくつきながら旅行鞄をハカリにかけると・・セーフ!前の夜、お土産でパンパンに膨れた鞄とメルスと共に戦いリュックや手荷物バックにキロ数を分散させ二人60キロ位の荷物をうまく振り分けたためワシらの勝利!中にはいると知り合いの顔が・・フィビーさんだ。DSC00367

彼女は中島のおじさんと言うワシらの結婚公証人でありカソリックの一派、病院修道会(マザーテレサ)の修道士の通訳をしていて知り合いになった。なんでも彼女も日本まで行くとの事。メルスはガゼン喜ぶ。なんてったってマニラでのトランジットは3時間以上、気心のしれたビサヤ語でのチカチーカ(おしゃべり)に熱が入る。DSC00366

ダバオから1時間半のフライト、マニラに着くとすでにクリスマス飾りのお迎え。

たっぷりとしゃべり疲れた二人とワシを乗せてマニラから一路、成田へ。暮れなずむ太平洋を一っとび、皆の待つ(いや?まってない?)日本へ微妙にドギマギしつつ平静を装うメルスを乗せてPAL(フィリピン・エア・ライン)のジャンボは行きました。

一足先に日本に来ているワシの妹、イネス一家と今夜は成田で会う予定。ワシのアニキのひげほさんが用意してくれた日航ウインズ成田ホテルに着いたのはもう夜9時頃。ホテルの送迎バスがエントランスに着く時イネスの娘、メグミがバスに向かって走ってきた。旦那のトントン、アニキも見えた。メルスもワシもみんなもニッカニカの瞬間!さっそくホテルの中に。DSC00370

ねっ!ニッカニカでしょ。アニキが用意してくれたのは飛行場が見える側の部屋。ごっちゃんです。先にチェックインしていたイネス一家のフォローのためにアニキは仕事をおえ大宮から一目散でここに来ていてくれた。遅くなるワシらのためにオイナリさんを買うのも忘れずに!サラマット!(ありがとう)

アニキもさることながらダバオにいると毎日顔を合わせているイネス一家とも10何日ぶりなので遅い時間にもかかわらず部屋の中は日本語・ビサヤ語タガログ語・英語・・が飛び交いハイテンション。お疲れアニキのオネムを筆頭にみんなやっと眠りに着く。DSC00372

初めての外国、日本で眠りに着こうとするメルス。ダバオで探してきた長袖のパジャマで睡眠準備。DSC00374

一夜明けて11月12日、朝6時にみんなでホテルの朝ごはん。この日朝9時のフライトでトントンとメグミは先にフィリピンに帰る。せっかくの日本、家族みんなで楽しみたかったがしかたない、残念!メグミは学校があるしトントンは勤めがある。また、トントンにはワシらが居ない間ゲストハウスの管理をして貰わなければならない。朝ごはんの後アニキも一緒にいったん空港へ。なごりおしくトントンとメグミを見送る。メグミは「わたしは帰りたくなあああああい!」とビサヤで連発、ごきげんナナメだったそうだ。

空港から大宮へ直接(デリッチョ)で帰るアニキに二人分で40キロある荷物の持ち帰りをたのみワシらのおとうさんダート内田(ダバオの名誉市民賞で名前のまえにダートと言う称号を付ける)に挨拶をするためイネスとセイジと共に三鷹に向かう。これまたアニキがたんまり入ったスイカを3人分用意していてくれたが、ここは赤ちゃんのセイジ君が一緒なので乗り換えの必要がない吉祥寺行きのリムジンバスで行く事にした。電話連絡しおとうさんの所に程近い日本フィリピンボランティア協会の網代先生にもご挨拶したい旨お話しすると恐縮にもお忙しい中、網代先生自らおとうさんの所まで足を運んでくださった。みなさんありがとうございます!ユウスケ君が三鷹の駅まで送ってくれて一路今夜の宿泊先、大宮へ。アニキからもろーたスイカと湘南新宿ラインのおかげです~っと大宮。DSC00375

空港から三鷹、リムジンバスのイネスとセイジ君。DSC00377

いったんアニキ宅。アニキ宅名物のハナもドタドタと来た訳も分からんもん達にビビッたのか意外と静か。皆のオーダーで今夜のお食事は高級スキヤキ!DSC00376

この日は七五三で込んでいたスキヤキ店、20分程待たされたはらいせにスプーンを食べ始めたセイジ君。大物になる!

腹いっぱいで帰ってきたアニキ宅、着替えのパジャマ、タオル歯ブラシ、夜の寒さにそなえての電気毛布、などなどヘタな旅館が太刀打ちできないほど完璧な気配りのまゆはなさん。グーグー、ゴーゴー、キリキリ。客間にてみんなすやすや眠る。DSC00378

またもや明けた13日、まずはアニキの会社ハイパーギア訪問。といっても3階から2階1階と階段を降りるだけ!DSC00383

やたらと沢山ある最新のコンピューターに目をやったイネスとメルスは口には出さなかったが「要らなくなったらちょーだい!!」と言うあやしい目つきをしていた。DSC00386

1階のスペースに作られたまゆはなさんプロデュースのハイパーギア・カフェでくつろぎを味わう一行。今日はこれから栃木へ移動。日系人として日本で働いているイネスの兄弟達が住んでいる。DSC00390

大宮までアニキ・まゆはなさんに送ってもらう。送ってもらいついでに大宮デパート街でウィンドウショッピング・・・と、思ったら、メルス&イネス、まゆはなさんから日本にきた記念にとプラチナのネックレスを買って貰う!す、す、すんまそん!まゆはなさん。DSC00398

アニキはアニキで栃木までの新幹線プレゼント!DSC00401

ワシも一緒にニカッ笑い。DSC00395

一目散に2階席へ!

さて続きはまた・・・・・CU !

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2005.11.26

リコーダーコンテスト・がちょ~ん!

恒例のリコーダーコンテストがカリナンの野外音楽堂でおこなわれた。ワシらフィリピン日系人会学校(PNJKスクール)も参加した。PNJKスクールからは今年初めて参加する高校部門と三年目の小学校部門がエントリー。ワシは今年、高校のコーチを勤めた。DSC00921

カリナン・フィリピン日本歴史資料館を借りて着替え。DSC00920

今年の高校の衣装は日系人会学校をアッピールするため浴衣にした。生徒達はナカナカお気に入り。DSC00925 こっちにすんでる、石山のネーサンが着付けてくれた。

ステージに上がるためのフォーメーションを確認。浴衣なので足さばきが心配だったが、OK Lang!DSC00933

小学校は制服での演奏。この制服もなかなかよいでしょう!DSC00940

小学校の演奏。指揮は小学校校長のテランテ先生。音楽好きの子供好きの良い先生。ワシも尊敬している。DSC00952

この学校のユニフォームも綺麗でよかった。DSC00959

小学校部門をおえ高校部門へ。PNJK小学校も頑張ってよい演奏をしたが、高校の子供達もよく頑張った!高校部は3校だけ。ワシらはトップバッターだったが3校目の演奏を聴き終えたときワシは“勝った!”と思った。彼らの100パーセントの演奏ではなかったが・・・。DSC00977

し、しかし!結果は高校エントリー3校中・・3位!?な、なんでや!しかも小学校はかすりもしなかった!な。な。なんでや!DSC00982

しかし、子供達の立ち直りはハヤい!帰るころにはコノ調子。「ホンダ先生、来年は1位だね!」って笑顔でにっこり。いい子達ナノダ。このブログをみて応援してくれたみなみな様ありがとうございました。ほんと、来年もみんなでガンバルど~!

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2005.11.24

もうすぐコンテスト

いやぁ~ただいま!皆さんに迷惑かけつつダバメル夫婦(ワシらのこと)、無事帰国したのは20日の日曜日でしたがゲストハウスの仕事が“獅子てんや・瀬戸わんや”状態でしかもリコーダー・コンテストのコーチも帰国翌日から追い込みのっこみで・・・・・はずかしながら今日初めてブログを書きますのダ。日本滞在記は落ち着いてから始めるとして、まずはレアな話題から。DSC00899

カリナンで開かれるリコーダーコンテストは11月の26日。十数年前、日本の子供達の使わなくなったリコーダーをうちの叔父達、日本フィリピンボランティア協会の方々が頂いてきてダバオの小学校に配り年一回のペースでコンテストを開いたのが始まりで今日まで続いてるのダ。「貧しい子供達に少しでも良い教育を」の一環で始まったこのコンテスト、当時の貧しさと今日ではだいぶ様変わりしているそうだがボランティア協会の網代正孝先生をはじめ多くの方々が今でもこのコンテストを支えて下さってる。2003年7月にここダバオに移り住んだワシもその年から“こんなワシにでも何かできること”として叔父・内田達男、網代先生達のライフワークでもあるこのコンテストをお手伝いさせて頂いてる。ワシの立場はあくまでも日系人会学校のボランティア・コーチなので大会全体の運営・進行にはかかわらないが、音楽振興に少しでも役立てば・・と始めたのだが。今はもっと直接的な気持ち、毎年出会う子供達と一緒に“何か”を探して“何か”を共有したい、と言う気持ちが強いのダ。とにかく今週の土曜日に向けてメルスもワシもひっちゃきなのダ!

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2005.11.05

ハロハロ

ワシらの来日予定がずれた為、一度はポシャッてしまった“絢爛豪華ねずみランド・ツアー”が再計画のはこびとなり各方面の方々に深く感謝するしだいなのダ。さて今日のお題は「ハロハロ」。このタガログ語の意味はミックス・まぜまぜ・と、いったモノだがここフィリピンでハロハロと言ったらまず頭に浮かぶのは“具だくさん・ゴチャまぜ・カキ氷”。2番目は“すぐチョッカイ出し・浮気男”になるのだがココでダバオの浮気男を紹介しても“ショウカイ”ないので、カキ氷を紹介するのだ。なにしろ街じゅうドコにでもあるハロハロ。一年中ノーテンキに夏が続くダバオにはもってこいのヤツだ。街のソコカシコで食べると日本よりひとまわり大きなのがドカンと来るのだがこれから紹介するレストランでは小ぶりの器に自分の好きな具を入れ放題・のせ放題で“自分だけのオリジナル・ハロハロ”を作って食すことができるのダ。DSC00276

「ビュフェ・パラス」。ここがそのレストラン。ビクトリア・ショッピング・モールの敷地内にいくつもあるレストランのひとつで名前の通りビュフェ=バイキング・スタイル。一人240ペソ(約480円)とダバオの物価・ワシらのサイフ、からしたらお高いのでタマにしか行かないのだがこの時はトリさんと一緒にハロハロめあてで行ったのだ。DSC00268

メイン・ディッシュも色々沢山あり、どれもだいたい美味しいのだがこの日のお目当てはハロハロじゃけんハロハロ関係の写真しか撮らなかった。ど、ど~よコレ!この具の数!左の一番上は「ウベ・ジャム」、紫イモのアンコのようなもの。大・小のアズキやら「サゴ」と言うプルプル・ネッチのパームをの一種の実やらバナナの煮たのやら、口の中は味の南国ワンダーランド。DSC00269

この左から二番目・一番下のヤツが「サゴ」。ワシの様に小心者はこれだけずら~っと並ぶとアタフタと迷ってしまうのだがコノ「サゴ」だけはいつでも入れる、誰にでも勧める。もちろんウベは当たり前の様に入れなきゃイカン。「サゴ」の右隣の何のヘンテツも無い様に見えるのはシリアルの様な物で名前は知らないのだがいつも入れる。ハロハロを食べ始めると自然にミックス・ミックス・氷は溶け出しシャブシャブになる、とその時、こやつシリアルがいると適度のカリカリ感が残り舌触り、噛みごたえにパッションをあたえてくれるのだ。DSC00273

この様に、様々な国籍、様々な思いをのせて、様々な具をテンコ盛にしたワシだけの、そして“あなただけの”ハロハロが完成するのダ。DSC00275

めいっぱいになったお腹をさすりながら外にでると、何のちゅうちょも無く暑い陽射しが待っていたのだ。

皆さんもゼヒ、ダバオでハロハロ体験!ワシとメルスがご案内しますのダ。

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2005.11.02

All souls day

フィリピンの11月1日と2日は、日本で言う「お盆」~All souls dayなのだ。ワシとメルスも日本に行っていて来れない妹夫婦・トントンとイネスのかわりにトントン側のお墓まいりに行ってきたジョー。DSC00332

ここはSanPedoro memorial parkというプライベート・セメタリー。二日目の今日はすでに1日の朝から夜明かしで集っている沢山の家族達でにぎわってテントも建ちならんでいる。DSC00329

ワシらも霊園の外に、これまた「お盆」の時だけにわかに建ち並んだ露店で花を買う。DSC00331

ワシらの友人・久保田氏もお付き合いなのだ。DSC00326

ここはサンペドロ霊園のとなりにあるパブリック・セメタリー、公共墓地。ここも人でイッパイ。ここでもヤッパリお墓の上に座ったり寝そべったり家族、親戚が集まって来てヨモヤマ話をしながら夜明かしをする。DSC00334

塀ごしにブーゲンが綺麗に咲いている。DSC00342

サンペドロ霊園の中では子供達がかけずり回っているのだ。DSC00340

ワシとメルスもカンデーラ(蝋燭)に火を灯しトントンの分、イネスの分、メグミとセイジの分そしてワシらの分と、祈りを捧げて来た。

この後、夕方にもういっぺん来ようと思っていた。今日2日はAll souls dayの終わりの日。夕方、暗くなりだす頃、夜明かした人も今日来た人も、お墓のかたずけを始める。そして「さー皆、帰ろう・・」と言う時に家族・親戚がお墓を囲みこうべをたれお祈りをする。中にはギターを弾きながら賛美歌を唄う人達もいる。そして黄昏の霊園の中には無数のロウソクの灯火と祈りを捧げる人達のシルエット、そして静かな賛美歌だけが残る。去年その光景を見て「綺麗だな~」と思ったので今年は写真に撮ろう!と思っていたのだ。だ、だが・・・もう一回夕方に行くべく、近くのデパートで待っていたら雨が降り出してきたのだ。しかたなく今年は諦めることにした。DSC00347

このデパートの辺りはダウンタウンで雨が降り出すとジープニーもタクシーも満員で乗れなくなってしまうのだが今日はスンナリ10待ちぐらいで乗れた。まずはめでたし。

めでたしと言えば、旧友ロスのTTタヌキさんは彼の率いるクワィアーの日本ツアーを無事成功、ロスにたどり着き、まゆはなさんは初のデズニーランド、ホテル・ミラコスタにご宿泊、ひげほんださんは旨い物に腹つつみ、ハナはプーサンのカブリ物・・・・めでたきかな。

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