続・ダバメル日本滞在記だポーン
ワシの友人・いのっこがドンがばちょとダバオに持ってきてくれた100円ショップの老眼鏡もステたもんじゃあ~りません!今日、フィリピンはボニファッショと言う独立時の英雄を称える日で祝日。昼間、二ヶ月ほど顔お見せていないメルスの実家タムガンに日本土産を届けに行って来た。そして続くぞ滞在記!
日系人3世であり日本財団などの奨学金で何回か日本に来た事が有るイネスは初めてではないがメルスは生まれて初めてのBulletTrain(新幹線・超特急)にメルスはバリバリに乗っている。あきれてメルスを見るセイジ君。
駅では9人の家族と2人の友人が待っていた。宇都宮がいきなりダバオ化してしまったのダ。ワシらを入れて15人、2台のバンに分乗し昼ご飯の場所を物色しながら宇都宮クルージング。車の中はビサヤ語オンリー!みんなメチャ嬉しそう!ワシも嬉しくなるのダ。今日はアネゴ肌のイネスのおごり。この「まつのや」と言うファミレス、なかなかどうして旨かった。会計を済ませたイネスがドドッーとワシそばに来て、ひそひそ声のあざやかな日本語で「修二にいさん、今のイクラだったと思う?大人14人でお腹イッパイ・・・8千円チョットダヨ!」 見たか・聞いたか・してやったり・のオバサン顔でほくそえむイネスの顔にワシは思わず「がちょ~ん」 と言ってしまった。
つまようじくわえシーシー言いながら腹をさする一行を乗せてジャスコに寄ったり、質流れ屋に寄ったりしながらイネスの兄弟達が住む栃木に向かう。この日はイネスの弟ドニーの奥さんネルメン(彼女も子供の洗礼式の後、ドニーと一緒に日本に来ている)のお誕生日。栃木でささやかにお誕生会をするそうだ。イネスをフォローするのと暫く会ってない彼らの顔を見る為にやってきたワシとメルス、この日は早くアニキの所に帰ろうと思っていたが“お誕生日”と聞いちゃそのまま帰る訳にはいかない。フィリピンの人達のお誕生日の晩さんは全員でする“感謝のお祈り”から始まる。ワシらもせめてネルメンの為にお祈りしてから帰ろう、という訳。彼らの住む町は静かでイイ町。何かほっとする感じ。ダバオを遠く離れ日本で働く彼ら、ちょっと安心する。
ドニーとネルメン。テーブルの上にはネルメンが作ったフィリピン料理が並ぶ。
黒のトレーナーがお気に入りのタタイ(お父さん)
そもそも今回のイネス達の日本旅行のメインの理由は・・・ナナイには「ひさこ」と言う日本名がある。ナナイは日系2世なのだ。この日系人とは未だに日系人と認められてない人も沢山いてフィリピンと日本、長年の問題を引きずったままでいる、と言ってもイイ程だ。ナナイの場合は幸運にも出生証明など日系としての身元を確認できる書類が残っていて正式に認められている。このナナイのおかげでイネス一家は比較的すんなりと日本での合法的な働き口を得る事が出来、就労ビザも取れる。しかし当のナナイはまだ一度も父の祖国、日本の地を踏んだ事が無い。ナナイの日本での手続きの事も有り、イネスの呼びかけで兄弟全員が負担しあってタタイとナナイを日本に招待したのだ。ワシはワシで自分の事、メルスとワシの事、とこの時期、来る必要があったのだが、本来イネス達は6月頃来る予定だったがワシらが9月後半に日本行きを予定している事を知り「一緒に日本に行けると楽しいネ」と、6月を延期(延期の理由は他にもあったが・・) しこの時期に合わせたのだ.。とにもかくにも・・・・お祈りをみんなでしてネルメンの美味しいフィリピン料理にほんの少し手を付けてワシとメルスはドニーに駅まで送ってもらい栃木のリトル・リトル・ダバオを後にした。今日はここまで・・・・CU