雨上がりを待つ。
2階に移動したPCの前で、雨が上がるのを待つ。ロスに住む友人と一緒に作るCDの録音の為だ。M-Boxなる機器を使ってデジタル録音した音源をダバオーロス間で行ったり来たりさせてアラカタ仕上げてしまおう・・・と言う計画。しかし私の今居る建物は当然スタジオじゃない。いざ、マイクをONにして録音を始めると、実に様々な音が聞こえてくる。通り一本隔てた家のニワトリの雄たけび。表通りを行きかうトライシカル (フィリピンの乗り合い三輪車) のエンジンの唸り。向かいの家に住んでいる妹の子供、セイジとメグミの声。通りを流すサツマイモ売りのおばさんの「カモ~ティ、カモ~ティ」やら、子供がバスケットボールを搗きながら歩いてく音やら・・沢山の生活音。ロスの友人に聞いてみると、これらの音は実は“どーにでもなる”らしい。しかし・・・この屋根を叩く、雨の音はダメだろう・・・。フィリピンの建物は、このゲストハウスのクラスでも殆んどが鉄板の屋根。一昔前、日本でも良くあったトタン屋根の様なものだ。強い雨が来ると物凄い音をたてる。これもまた風情があってスキなのだが・・・。
私達が管理しているゲストハウスがこれ。左から、奥さん・新しいお手伝いさんエドナ・ここのファウンデーションの奨学生リネット。
そんな訳で雨上がりを待ってパソコンをめくってみる。イツモ通りお気に入りの“yoshio journal” 音楽プロデューサーでもあるロスの友人のブログ、私の実兄の奥さんの“まゆはな日記”・少しだけお手伝いさせて頂いていた渋谷の通所訓練作業所・ファウンテンハウスのメンバークラブの“ストライドクラブ”のブログなどなど・・・。しかし最近、毎朝仕事がひと段落した後に見るブログがひとつ増えた。ロスの友人が音楽監督を務める日系ゴスペルクワィヤー“NCM2”のブログ、ーNCM2の「今日も1日頑張りましょう」ーだ。私はこのブログで記事をよく書いているカッパさんの大ファンである。毎朝、聖書の言葉を短く彼女のセンスで明るく解説?してくれている。その気負いのなさ、(読者側に気負いさせない・・と言う意味で・・) 良い意味での生活感にいつも脱毛している。今日のカッパさんの記事に「教会は清い人しかいけない、と思ってた・・」 という下りがあった。私もまったくそう思ってた。ダバオに来だした頃、妹のイネスに誘われて「話のタネ」で日曜日のミサに行った時も少しだけ“居心地の悪さ”を感じてた、正直に言うと。でも毎日曜日に出かける様になった頃「修二兄さん、仏教でもイスラムでもイイんですよ・・私達はぜんぜんこだわりません。」と私の気持ちを察してくれ、そう言ってくれた。単純な物で、それからのミサは気楽なもの、そう、むしろちょっとした“楽しみ”に変わった。
今でも私の英語はヒドイしろものだが、この頃はもっとヒドかった。神父様が何を言ってるのかちんぷんかんぷん。今は3分の1位分かる時があるので進歩したものだ・・と自分を褒めてる。それにしても話の間、言葉の間に聞き覚えの無いビサヤ語が入ると、せっかくの“理解”がすっ飛んでしまう。ここダバオでのカソリック・ミサは英語のと、ミンダナオ島全般で使われているビサヤ語の2種類があって、朝6時はビサヤ語、7時半は英語、と言うようになってる。もちろん分からないなりにもより分かりやすいと思い英語のミサに行くのだが、神父様の大半はビサヤ語を話す現地の人。英語のミサの間にも現地のビサヤ語がちりばめられる。そんな時、“理解”がすっ飛んだ時、私はただミサの雰囲気にひたる。神様に申し訳ないが、これはコレでとても落ち着きいいものだ。そしてそんな時、たまに思う事がある。この沢山の人達の中に何人のドロボーがいるのだろう・・何人の大金持ちがいて、未だにスペイン時代の様にメイドをこき使ってるのだろう・・何人の娘が夜の街に立ち、何人の男がイカサマ賭博のカモを探すのだろう・・・。でも、すくなくともこのミサの間は皆一緒だ、金持ちも貧乏も善人も悪人も・・・皆が跪き、皆が悔い改め、許しを得ようと祈る。私は行動が伴ってこそ祈りは実現に向かう、そこで初めて神は御力をかしてくださる、と思っているのだが・・・それも傲慢な思い込みかもしれない・・とも思う。なにしろ“全ての人達”に祈る権利があるはずだ。ミサの中で私の好きな箇所が有る。皆で「平和を・・」と口にしながら見ず知らずでも廻りの人達と笑顔で挨拶し、その後、両隣の人とてを取り合って賛美歌を唄うのだ。たまに照れたり、気兼ねが有ったりで、手を取り合わない人もいるが、この時は繋ぎあった手から手へと良いバイブレーションが伝わり、やがて皆の気持ちが昇華されて行く様な気持ちになる。私の奥さん、メルスはどんな風体の人でも自分から手を取る。今の私はかたわらに必ずメルスの手を握ってこの時を過ごしてる。ほんの少しのこの時間だけでも、善人も悪人も、頭の良いひとも悪い人も、良い波動をわかちあう事はきっと良いことだと思ってる。そしてこれは私に力を与えてくれている。カッパさんの記事を読み、雨の上がるのを待って、そんな事をおもいだしました。