後藤次利さん。
はてさて、ロスの銀の字師匠ことヨシオさんと“こーたいばんこ”に書いている「ダバロス交換日記」http://www.ginte2.com/の1月28日の記事はヨシオさんのIf You're Lonely/Eric Justin Kaz 。この中で後藤次利さんの事にふれているが次利さんの事についてはワシもふれたい、ふれまわりたい。ヨシオさんは覚えちるだろーか?・・君知る~や、君知る~や、オーリエンタル・カレェ~・・っじゃなくて・・銀河鉄道の2枚目「ミルキーウエイ」の録音時の事。「夜の魔法」っつー曲の録音はワシがベースじゃった。あん時は友達で銀河鉄道のサポーターみたいな事をしてくれてる人達がいっぱいいてね、ヨシオさんだったか、林“寅”さんだったかの友達が貸してくれたテレキャスター・ベースをしーてたんだけんども・・・弦が古くて音の伸びがイマイチだったのヨン。そん時、お隣のスタジオで録音をおえた後藤次利さんが「銀鉄が隣でロキオンしちる!」っとばかりにチョー売れっ子で1分1秒も惜しんでスタジオからスタジオと飛び回ってるにも関わらず遊びにきてくれたのだ。そしてワシのベースの音聞いて「今とっかえたばかりの弦だけど、あげるケン張り替えた方がええよん。」とベースの弦を下さった。さっそく張り替えて録音したのです。 次利さんに限らず、銀河鉄道の頃、ワシらに関わって下さったミュージシャンの方々、そして音楽業界の方々は皆さんイイ人達でした!
ワシらの好き勝手にやった物に合わせつつも所々にキラキラ光るキーボードを弾いて下さった佐藤博さん、何にも知らないワカゾーのくせに「ここんとこ、こ~んな感じでお願いできますぅ?」なんて言うワシらに「こんな感じ??」なんて言いいながら、幾つもテイクを録ってくれたJAZZの重鎮、稲葉国光さん、「これはサックスで・・・これはクラリネットで・・・」なんてエラソに注文だす高校生と一緒になって楽しく録音してくれたサックスの村岡健さん、他にもハープの松田“アリ”幸一さん、柳田ヒロさん、矢野誠さん、坂本龍一さん・・・・皆さん、誰一人として“エラッソー”な人はいませんでした。それどころか当時の大物プロデューサーと言われた三浦光紀さんやワシらのボスだった大蔵博さん、写真の内田さんやデザインの茂木さん、今考えてみると、思い出してみると・・・誰も“エラソー”にしてなかった。ただ共通の音楽を軸にワシらと一緒に“いい物”を作ろうとしていたので、ソコんとこでは高校生もベテラン・ジャズマンも有名写真家も関係なかったのだらう・・・。ワシはこの銀河鉄道が事実的消滅(ヨシオさんは憧れのアメリカ音楽探求と音楽修行しに、鈴木大治郎もドラムの勉強にNYで日野元彦さんとルームメイト、佐藤信彦は大学受験)後、色んな方々のサポート・ギターの仕事をさせて頂いてた。昔から可愛がって頂いた及川恒平さんや、遊び仲間の様だった佐藤公彦“ケメ”さん、ギターの先輩、洪栄龍さんから紹介して頂いた加藤登紀子さん。「ふこのとう」の細坪基佳さん、尾崎亜美さん、1ツアーだけだけど遣らせて頂いた松任谷由美さん、“唄のお兄さん”になった坂田修さん・・・まだまだ色んな方達のお手伝いをさせて頂いたが皆さんいい人だったしヤハリ素晴らしい才能があふれ出ちゃってる感じだった。しかしここでは“お名前”は挙げられないが、中には“かんつがい”して“モノスゴえらっそー”なしともいた。そんなシトは、こっちっからサッサとやめちゃったけんども・・・。ヤッパスかっこええしとは“エラッソー”しないんじゃのう。ワシもただ歳とっただけなのい時たまエラソーにしそうになる!気をつけよう!・・・あいや、!・・ダバロス交換日記に触発させられ、ツラツラ・ゾロゾロと書いてしまったが、まっ、こんな事を思い出しやしたん。そして「GINTE2」の日本ツアーで「銀河鉄道」1枚目の2曲目、「思い出してごらん」をアコギ・ジャカジャカでやるとカッチョいいんじゃないか・・・と思ってるワシなのれす。
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