フィリピン日系人会・PNJK
当時は年齢も若く見た目もゴツくないので、ずいぶんナメられたそうだ。そしてまた現在日系人は3つのグループに分けられてる。(ココで言う日系人は戦争時に関わり戸籍等の消失してしまったりした世代の方々の流れ・近年、ワシのようにフィリピーナのメルっちゃんと日本人のワシが結婚して、子供が出来て・・・とかいう次元ではない)殆んどの資料が残ってたり見つかって比較的スムーズに認められる“カテゴリーA”そしてその次の“カテゴリーB”そして、日系人ではあるはずなのだが、当時の資料を見つけ出すのが非常に困難な“カテゴリーC”。現在フィリピン全土でこのような日系人の方達、特にカテゴリーCの方々の復権をサポートするためにPNLSCという団体が頑張って下さっている。 http://pnlsc.com/
今、ダバオには日本からPNLSCのシガキさんがPNJKオフィスでこれらの資料集めやインタビューなど多忙な仕事をこなして下さってる。
このPNLSCのスタッフの方々はココ、ダート・内田ゲストハウスの常連さんでシガキさんも含めノリさんキョウコさんミズホさんなどはメルっちゃん・ワシと親しくさせて頂いてるのだ。とっとっと・・・話を戻そう!なぜこの話になったかというと・・PNJK現会長・ジュセブンさんは“カテゴリーC”なのだ。もちろんPNLSCの方々のご努力もありカテゴリーCでも少しずつではあるが「ダレダレさんの資料が日本で見つかった!」とか証明書がおりた!とかカテゴリーCの方々の復権が進んではいるがキビシイのは現状だ。だが、そんな自身の境遇にも関わらず頑張ってるジュセブンさんをワシは応援することに決めたのだ。とってもビリョクではありますけんど!
フィリピン日系人会のオフィスはMKD・ミンダナオ国際大学の1階、ブーゲンビリヤの下にどーんと看板がある。ダバオのために、このMKDビルディングを建てたワシの尊敬するオジキ、皆で愛情を込め“お父さん”と呼んでるダバオ生まれの日本人、内田達男が大学の1階部分を日系人階のオフィスにと、提供したそうだ。最初のジュセブンさんの写真に写っているのは故・内田あや子の銅像でPNJKオフィスの前に建っている。(旧姓、本田あや子。つまりワシの父親の系統なのだ。)この、のほほんダバオでさえも、欲ボケの人達は沢山いて、日系人社会の中でも例外ではないようだ。あくまでも“友好・協調”路線を進めているジュセブンさんを「あや子おばさん、どーぞお守り下さい!」と願うダバシューなのだ。
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