2008.03.27
2008.03.24
家族旅行セブ・ボホールだす。(1)
トントン&イネス一家とワシらダバメルでホーリー・ウイークのお休みを使ってセブ・ボホール、と小旅行してきたのだ。ターシャに会いにいくどぉ~!http://blog.goo.ne.jp/sekai-kikoh-2007/c/4f46f16a84aa0a5304a7596af7451618
という訳でダバオ国際空港。
2008.03.20
2008.03.18
2008.03.15
ダバオのリゾート
ベーシスト・幸田実しゃんの奥様から頂いたメルっちゃんお気に入りのリゾートバッグにガサガサ詰め込む・・・お出かけの準備の用意なのダ。あすたは“ダバオの日=アラオ・ナン・ダバオ”なのだがメルっちゃんの誕生日でもあるのだ。http://davashu.way-nifty.com/blog/2007/03/post_768e.html 去年はブログでご覧の通り日系人会がこのアラオ・ナン・ダバオのパレードに参加してたので忙しくしていたので今年は“ゆっくり・まったり”すごそうー!・・とのメルっちゃんからのたっての希望でブワ~ンっと張り込んで一晩泊りでサーマル島にある高級リゾートに遊びに行くのだ。http://www.balibaliresort.com/day-tours/
2008.03.14
2008.03.05
“内田あやこ”とダバオ
“あやこおばさん”・・・本当はワシとあやこおばさんはイトコなのだけど年が離れていたので子供の頃から“あやこおばさん”と呼んでいたのダ。子供の頃ワシは東京の片田舎(昔はそうだった・・)練馬に住んでおった。父と母とヘゲホと呼ばれている兄とワシの4人。昔はどこでもそうだった様にあの頃は親戚同士でも助けあって暮す時代だったのだ。ちょうど「三丁目の夕日」の様に・・。ワシの父親のアニキの3人娘の真ん中が“あやこおばさん”で、昭和30年代、早くに父親を亡くした“あやこおばさん”一家は“叔父”であるワシらの父親を頼ってきた。そしてワシの父親は練馬の家の裏庭に面した六畳間と3畳間、そしてお勝手の一部をあやこおばさん一家に提供して何年か一緒に住んでいたのだ。・・・もう“遠い昔”の話だが・・・・ワシがここダバオに来るきっかけとなったのが1999年、そのあやこおばさんの突然の死だったのだ。その時あやこおばのミサをこのダバオの人達があげてくれ、あやこおばのご主人、内田達男おじ (お父さん)に日本の親戚としてダバオでのミサに招待される形でワシは生まれて初めてダバオに来たのだったのダ。そしてその後、そのあやこおばの残した基金でダバオの日系人やフィリピン人のためにミンダナオ国際大学(MKD)の建物は建造されたのである。3月4日、あやこおばさんの命日には朝から日系人会や日系人会学校、MKDなど主要な人達であやこおばさんに捧げるミサが行なわれるのだ。