日本祭り フィリピン・ダバオ
正式には、「日本語とバラク スピーチコンテスト」となってるが、“バラク”とは現地語のビサヤ語でのスピーチなのダ。もつろん、日本語スピーチはフィリピン人が日本語でスピーチするのだが、バラクは日本がビサヤ語でスピーチするのダ。日本語スピーチではワシのリコーダーの生徒、高校生のライチも参加した。そしてワシらが運営してるダバオの現地法人DUDF=ダート・内田・デベロップメント・ファンデーションの教育援助を受けてMKDのケアギバー科を優秀な成績で卒業してMKDの職員になったリネットも職員部門で参加したのダ。http://davashu.way-nifty.com/blog/2005/06/measurement_e4e8.html(2005年、このブログを始めた頃の記事で日本語の勉強の為にリネットに書かせた記事がありますた。)
今回のスピーチコンテストは毎年マニラで行なわれる有名な物とは違いあくまでもダバオの日系人会のフェスティバルの中なので楽しい雰囲気の中で行なわれたのダ。(ところで・・・そのマニラの日本語スピーチコンテストでは毎年、我がMKDは高成績を残しているのだ!http://www.jac.ph/2009speach/2009sp_manila%20result.htm)そして・・・日本語スピーチの後、ワシらのリコーダー・アンサンブルが演奏をご披露。こりは、ワシが教えてる高校生たち。小学校の校長先生テランテ先生が教えてる小学生も良い演奏を披露してくりた。翌日に控えたカリナンでのリコーダー・コンクールが楽しみダス!
バラクの方は日系人会国際学校やミンダナオ国際大学で日本語を教えてくださってる先生方が参加して下さった。ご自分の日本語の授業やこの日本祭りの準備や担当などでお忙しい中、“きちんと”ビサヤ語でのスピーチを勉強し練習して下さった彼らのスピーチにはヤンヤの歓声!本当に盛り上がった。安直に参加したのではなく、「参加するなら、本気で・・・」っといった意気込みを感じさせて下さったスピーチだからこそ、皆の心に届いたのだと思うダス。参加して下さった先生方、ありがとうございます~!
そして、この日の夕方から毎年恒例・・・盆踊り大会。ダバオ市で盆踊りが出来るのはここだけだらう・・・。MKDで勉強している日系4世のジーンマリも藍色の浴衣を着込み友達と一緒にスタンバイ。
午後6時、盆踊りを取り仕切るマイケル先生の合図を受けワシは大太鼓チームにキューを出した。会場はPNJK-IS,国際学校の校庭。大太鼓の乱打に引き続き、開会宣言。
機材のトラブルがあって最初のうちは「炭坑節」しか流せなかったのだが、300~400人は集まっていただろうか・・・みんな楽しんで踊ってくりてたようダス。1年に1回の事なので大太鼓チームもナカナカ感を思い出せずにいたのでワシも櫓に乗って一緒に叩いた。
だんだん、調子が出てきた大太鼓チームに櫓を任せて、ワシは写真を撮り始めるのダ。まずは、メルっちゃんとリネット。メルっちゃんは旧友イノッコの奥様から頂いた籐で編んだ手提げ、サイトのミーチャンに頂いた浴衣(?だっけ?)そしてタミー・スエヤス・センセに頂いた下駄(だっけ?)で、重装備・フルオプション。
リコーダーのメンバーもエンジョイ。
いつも、ワシらが支援のお手伝いしてるRSCC(アヤコ園)=保健局の乳児・孤児施設に心配りを頂いてる滝川さんご夫妻 (東京吉祥寺ライオンズクラブ) も参加して下さったた。
この日本祭りのためにJPVA(日本フィリピン・ボランティア協会)ツアーでダバオに来て下さり2日目のカルチャー・教室の講師を務めて頂いた先生方も、さすがに日本人ならではの踊りを披露して下さる。海外に出ると余計に思うが・・・盆踊りひとつ取ってみても、こういった伝統的なものや知識をキチンと知っている方がたは強いなぁ~っと、思いわが身を恥じる・・・!
こういう日系人会の催し物の時は特に日系人会国際学校、ミンダナオ国際大学、日系人会の全てに関してほぼ最終段階の確認指示などに目を通さなくてはならないイネスは一つのプログラムに付きっ切りで居られる事はマズ無く忙しく走り廻ってるが大好きな盆踊り、1時間ほど遅れてやっと参加。マミーを待ってたメグミとすでに何回も踊って少し疲れたニナン・トネット(エスコビリャ判事) の間に入って大喜び。
マイケル先生も司会でみんなを乗せる。
ダバオに来るとめちゃくちゃ元気になる内田のお父さんもMKDの学生達を煽る~!
今年初めての企画で浴衣美人・浴衣美男の抽選会で選ばれたのは二人ともMKDの学生。この後、ワシのギター&テランテ先生のクラリネット&イネスのリードで会場の全員が「ふるさと」を唄ってお開き。もしかすると・・・日本に居るより“日本の情緒”を感じるダバオの夜だった・・・かもしれない。
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