日本に行くド!
http://www.ginte2.com/ギンテツの日本ツアーで日本に、しさしぶりにいくのだ。
菫色のダバオの空をあとにして一路マニラへ。マニラから成田。マニラでたっぷり待たされるんだケンドも、ダバオを朝でて夜には成田なのだ。
http://www.ginte2.com/ギンテツの日本ツアーで日本に、しさしぶりにいくのだ。
菫色のダバオの空をあとにして一路マニラへ。マニラから成田。マニラでたっぷり待たされるんだケンドも、ダバオを朝でて夜には成田なのだ。
緊急速報・・・!っといっても明日のことになってしまった!長い間の音楽の友、天山氏が4月14日・午前9時・・明日じゃ!長野県伊那市の「いなっせ生涯学習センター」6Fのホールで入場無料コンサートをやります。 http://park1.wakwak.com/~tenzan/indexj.htmlみなしゃん、ぜし行ってくさい!
すべてはここから始まった。超旧友、ヨシオ・J・マキ氏との付き合い、そしてワシの音楽。同じく超旧友、林“寅”氏もよく言うがアノ頃のワシらは本当に小生意気なヤツらだったはずだ。30年以上たった今日でも、このジャケット写真からはドヒャ~っと“小生意気臭”が発散されている。そういう意味でもこのジャケットを作って下さった写真家の内田巧さんやデザイナーの茂木さんの鋭い洞察と感性にいまさらながら驚かせられる。
とっとっとっ・・・話が逸れてってしまいそう。今日のお題は“銀ちゃん”のあらたしい夜明け・・・・ロサンジェリスのアンノウン・プロヂューサーミキサーでアレンジャーでアーチィスト。ワシらの中では“銀の字師匠”と呼ばれ始めたヨシオさんのお話。この全ての始まり、「銀河鉄道」が空中分解してから(我々は正式に解散はしておらなんだ・・・有名じゃなかったのでその必要もなかったし、自分たちのやりたい事しか考えてなかったので・・・)アメリカに渡った。あの時の気持ちをワシは今でも憶えてる。言い方は悪いが“無謀”に思えた。あの時のアメリカは今よりもっともっと遠かった。そんな所へ行ってだいじょうびなんか??英語はどーすんじゃ??ドルはもっとんのんか??・・・??沢山の???がワシの頭の上で飛び回ってたのを憶えてるのだ。でも結局彼はスッスパア~ンと旅立って行った。スゴイ・・と思った。きっとあの時彼は物凄く大きなアメリカの音楽への憧れと自分を奮い立たせるための物凄いパワーを持っていたのだろう。モヤモヤとしながら日本に居続けたワシとはオオ違いだ。そしてウン十年ぶりに再会して始めたGINTE2プロジェクトで彼、ヨシオさんから感じるのは“何かを形にするパワー”だ。本当に恐れ入谷の鬼子母神。
GINTE2のレコーディング時にサンディエゴだったっけ?海の見渡せる公園にあった木。“風に吹かれて”・・・冷たい雨や“激しい雨”に叩かれながらも根っこをしっかりと大地にはやし暗い夜を渡っていく人達を見守る灯台のそばに立っている。この“傾き具合”がイイ感じだ。この木はワシの中のヨシオさんを象徴している。
正確には昨日、日本時間の11月28日。アメリカ時間では今日、この世に生を受け沢山の人達と共に今まで歩いてきたヨシオさんは、また“新しい夜明け”を迎えた。おめでとう、そして、有難う!彼をこの世につかわし、私たちと同じ世界で共にあゆませて頂くことを、神様こころから感謝します。
PS
実はここ10日間ほど、ダバオの少年野球の事でワシらの所属している現地NGOダート・内田デベロップメント・ファウンデーションが沢山のゲストを迎え忙しく自分たちの事は何にも出来なかったダバメルなので、ヨシオさんのお誕生日にかこつけて、カテドラルでお祈りした後、デナーをたびに行こうと考えてます。
To : Mr.Yosio J Maki
HAPPY BIRTHDAY TO U !
From Merce & Shuji
どうしよう、どーしよう・・ナンか落ち着かない。1時間しか時差の無い日本と同様ここミンダナオ島・ダバオ市も今日は10月31日なのダ。明日はもう11月・・・ワシらのCD、沢山の人達が関わってくれてヤットコでけた GINTE2「いつの日か」、祖国 日本での発売開始は11月8日、どーしよう・・・とりあえず風呂に入ってチレイにしとこうか?・・・とか、今のうちに裏庭の草むしりしておこうか?・・・とか、そんな感じで今日と同じように落ち着かなかった昨日の事でした。“ピンポ~ン”と勢いのいいドアベルの音と共に届いた小包みひとつ。コリャまたナント、旧友 Koda氏から! 彼はワシの大好きなベーシストの一人で銀河鉄道時代も含めワシが日本で音楽に関わっていた間の音楽友達でありパートナーであった。たぶんいつも彼がワシに合わせてくれてたんだろうケンドモ、ワシにとってはモノスンゴクやりやすい音環境を作ってくれる演奏をしていてくれた。残念ながら彼は今音楽活動を休止しているようだ。とあるNGOで活動している。ワシは現在の彼の仕事も尊敬している。物凄い経験を積んできた“彼”にしか出来ない仕事、まるで“神様が彼に与えてくださった仕事”かもしれない・・・なんて勝手に思ってしまうけれど・・・でも、今でも、いつかまた一緒に音を出したい友人なのダ。
彼の小包みの中身は綺麗な風呂敷 (メルっちゃんは大喜び!) とミルトン・ナシメントMilton Nascimento、トニンホ・ホルタToninho Horta、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブBuena Vista Social Club・・・などなど沢山のCD!そして、そのミナス(ミルトン・ナシメント)の「トラベシア」と言う大好きな曲のポルトガル語の日本語訳を読んで思った。「この詩はまるで、Koda氏のために書かれたようだなぁ~」って・・・つまりは、イイ唄っていうのはKoda氏だけに限った事ではなく、沢山の人達の思いや人生に何処かでオーバーラップするのだなぁ・・・と、こんな事を思ったのダ。なのはともあれ、アリガキ・マイ・フレンド!
そんな訳で“落ち着かない”がイイ日となった昨日、ゲストハウスの準備のため手伝いに来ていたリネットも連れて、イイ日になったお祝いと、いつもご苦労様を兼ねた夕食を御馳走する事にしたのだ。四人で歩いて近くのレストランへ・・・・。
ゲストハウスから歩いて約10分。日系人会学校のそばにあるパン屋さんがやってるレストラン。サラダやらピザやらフライド・チキンやら注文するが、もちろん米好きの皆、ご飯も注文するのだ。
いろんな人達のおかげさまで昨日も楽しく、美味しく、ご飯がたびられました。感謝。
GINTE2の世界にたった5枚しかないマスターCDを聞いた。自分で言うのもなんなのだが・・・・ええ!すんごく~ええ!
実は、ここのところ11月に行われる「リコーダー・コンテスト」の事でワサワサ・ジタバタしていた。先生のトレーナーやったり各学校に配るための小学校・高校用の3声のアレンジをしたり審査員のための注意事項をまとめたり・・・。コメントくれた、これまた旧友・幸田実氏は素晴らしいベーシストだが昔はクラリネットを吹いてただけあってリコーダーのことも詳しかった。ワシもやってみて初めて分かったのだがリコーダーをキチントやるのはむずかしい。学校教材用の子供にもあつかい易く研究されたものでさえ息の吹き方ひとつで音程が揺れる。昔ワシのアニキ様がつかっていた木製のバロック・フルーテなんか天気で音が変わった。歌舞伎座の若手の人達と芝のABCホールでコンサートをした事があったが、その時ツズミの人はドライヤーで音色の調整をしていたもんだ。話がそれたが・・・つまり、こういったアレンジは有る程度、楽器の特性を知った上で楽器にあった和声を作らなければならない。そして、指使いに無理がないか、審査ポイントを考えたフレーズが入っているか、などを考え、かつ小学生・高校生各々に無理がないかも含めすすめなければならない。今年は悩んで何とかやったが (もっとも、今まではそこまで考えてはいなかったようだが・・・昔は日本のリコーダー奏者の方が指導して下さってたらしく本格的だった様だ。) 来年の編曲は幸田実氏に相談しよ~っと!
とにかくDAVASHUスタジオもセットし直してやっとGINTE2を聞いたのだ。半分以上の録音はここダバオでやったのだがワシらが10代の頃聞きあさり憧れていたアノ音、アメリカのイイ音にしあがってる~っ!ヨシオ・J・マキ氏と共作した「星の道しるべ」と言う曲なんか、あ~たぁ、じ~んときちゃう位なのだ。なにせ早くみなさんに聞いて貰いたいのだ。11月7日、日本でミディより発売。もよりのレコード屋さんにドーゾ。アマゾンでも買えると思うから海外の方もゼヒドーゾ。
ところで・・・ワシの好きなブログ、YEHEY!DAVAOでもランソネスが紹介されていましたが今日はこれ、ランブータン。この緑色のが完全に赤くなったら甘くて美味しいくなる。今、旬でカリナンあたりで買うとキロ20ペソ(45円くらい)、ダバオの街中でも25ペソぐらい。
特に美味しいやつはアリンコが沢山たかってることがある。買ってきたのを一回、庭の芝生にバサ~ッ!アリンコが逃げたところをいただきま~す。
アリンコの次は人間がわらわらと寄ってくるのでアリます。
今日もダバオは平和なのだ。みなさん、神様、ありがと!
15日、16日とカリナンに行ってきましたのだ。11月25日に毎年恒例のリコーダー・コンテストがあるのだがフィリピンの小・中・高、学校の音楽教育は日本とだいぶ違う。このリコーダー・コンテストの参加希望校にしてみても、日本のようにどの学校にも音楽の先生がいて教えてくれる・・・と言った訳にはいかない。そもそも音楽専門の先生なんてまず各学校に居ない。だから、せっかく日本の子供達から使わなくなったリコーダーを貰っても教える先生がいない学校がある。そんな学校を中心にして今回の先生のためのリコーダー・セミナーがカリナンのカセドというセンターで行われたのだ。ワシはイネスから12日に急遽「修二兄さん、リコーダーの先生が足りません!お、お願いします!」と、綺麗な日本語で切羽詰りつつ、押しの強さも含めて すぱ~ん と頼まれ「わ、わかった・・・て、手伝います」っと言ってしまったのだ。二日間、8時半から5時まで。家を7時には出ないとならない。
まずは家からバンケロハン市場のそばにある「L-3」乗り場に行く。L-3とはこのバンの事で三菱のL-300型(車種)の略でカリナンのみならず、中距離の路線運行用に良く使われている。
中はこんな感じだが・・・・このL-3は時間出発ではなく人数が集まったら出発。最終的に16人乗り込むまで待つ。大人16人って言うと、それはギュウギュウなのだ。何人かは“ハンケツ”の状態になる。しかし、エアコンも付いてるしカリナンまで一人38ペソ。タクシーなんか、上手く交渉しても250から300ペソ。長距離バスも有るが、こちらはもっと時間がかかる。もちろん長距離のジープニーはそれよりもっと遅い。つまり、ギュウギュウでもL-3は総合的にダントツ1位なのだ。
約30分ちょっとでカリナンの街。ダバオよりもっと田舎の感じ。
ワシらを待っててくれたのはカセドのスタッフのバデットさん(左)とワシの相棒となるリコーダーの先生マミ・リンダ。マミ・リンダは2年前定年で退職した先生。昔リコーダーを吹いていて子供達に教えていたそうだ。
この人もカセドのボランティアスタッフのグレースさん。奥の人は名前を聞き忘れた・・ゴメン。
そしてモウ一人待っててくれたのがオベンザ先生。この人は植物学者でもあり絵も描くアーティスト。実はこのカセドのメインの仕事は熱帯雨林再生事業でカリナンのもっと奥、山の方のマラハンという所にその関連の実験地を持っている。音楽にも理解のあるオベンザ先生のもとで今回の先生のためのセミナーがおこなわれた。
そして、本当にワシらを待っててくれたのは片道2時間も3時間もかけてカリナンまで来てくれた20名を越す先生たち。ほとんどの先生はカリナンよりも山の方の学校から来てくれた。そして殆んどが音楽に対してシロウトの先生たち。逆にいえば大変だったが、やりがいの有った2日間であった・・・後から考えてみると・・・。
ビサヤ語で話すマミ・リンダの教え方はサスガ年季入りで感心させられた。どこにでも「すごいな~っ」と思える人はいるものよのぉ~。
ワシもワシなりにカナリ頑張った。「芸術は、ば、バクハツだ~ぁ!」ってぐらい頑張った。疲れたけどワシもとっても勉強になった2日間でした。
ゴホービに感謝状と金一封を頂きました。お金は返そうと思いましたが、せっかくなので頂いてメルっちゃんと相談の上、イースタービレッジの子供達に役立ててもらうため、そのまま中島のおじさんに渡すことにしました。みなさん!オツカレサマでした。そしてアリガキでした!
今、朝の4時半。いよいよ本日から「GINTE2」の最終録音のため日本経由でロサンジェルスに行くのであ~る。フィリピン・サイド、ダバオでのレコーディングも全部は終わらなかったため、後は“アスタ・マニヤーナ”・・・あした、まにあうな~・・何とかなるさ、(かまやつ・ひろしさんの「何とかなるさ」は名曲だと思う・・・)でロスに持ち込む。一緒に“ALLWAYS・三丁目の夕日”もロスへのお土産でもっていくのダ。
これは先日 まゆはな&へげほ様がわざわざダバオまでEMSでメルっちゃんのエプロンと一緒に送ってくれたものだが“こんなええもん”はみんなで分かち合いたいので持って行く事にした。全体に流れている音楽も懐かしさとセツナサをかもしだして良い。ワシらの様な昭和30年代が子供時代だった者たちにはグッとくるに違いない。また時間のある時にこの三丁目の夕日についてはカタリたい。
さて、もう5時。出発まであと1時間、最終の荷造り・子造りをしなきゃナランのでここまでにするのダ・・!みなさんCU!
はて、さて、正直、おしりに火がついて来たのダ。来月3日には日本へ移動、5日には初めてのロサンジェルスに移動。そ、それまでにベーストラックの録音を済ませなきゃならんのだが・・・。いが・が・いが・・・・。午前中はロスの銀の字師匠と打ち合わせの予定だったが、本日ロスも、てんてこ・舞の海、状態だそうで取りあえず5時間後に連絡を取り合うことにし、互いに時計を07・46時に合わせたのダ。その間ワシは資料取り。MKD・ミンダナオ国際大学・・[ミンダナオ島・ダバオ市にある、日本語を専科に取り入れてる学校で、フィリピン日系人会、JPVA,日本フィリピン・ボランティア協会、沖縄ダバオ会、ライオンズクラブなど、多くのかたがたがに協力して頂いている。この建物は“お父さん”ことオジキ、内田達男が故・内田あや子(叔母・旧姓・本田)の名の下に寄贈した。]・・・MKDに勤める妹、イネスのために日本の資料探しを手伝った。 この時計台のビルディング。ちなみにこの手前の土地にこんど、コンドミイニアムが建つらしい。なにせここダバオはフィリピン、第二の都市であり100年以上前から沢山の日本人が移民してきた場所。昔はリトル東京と呼ばれていたとか・・。一時、日本系企業がテロなどの恐れと“よりやすい労働者”のためにダバオを去っていったが、いまは韓国の人達がワンサカはいってきてる。ワシも住んでるこの近くはここのところダダ~ッと開発ラッシュなのだ。そんな訳で家に帰ってきたのはお昼前。新しい歌詞の差し替え録音をする。
これらの楽器は今回の“GINTE2”ユニットの為の録音に使っているメインギター。中でも一番使うのは、25年程使っているオベイション・レジェンドとここ2年程の使用だけどヤマハ・のコンパス・シリーズ。オベイションはギターの先輩でもある洪栄龍氏から加藤登紀子さんのサポート・ギターにさそって頂いて、その時、洪さんにみ立てて頂いて購入した。不思議なことにこの時の加藤さんのシングルリリースは「アナック」というフィリピンの有名なシンガーソングライター、フレディー・アギラ氏の訳詞バージョンだった。初めは「夜のヒットスタジオ」やらのTV・サシの仕事だけだったが、洪さんの親切な引きもありその後1年半ほど全国コンサートも含め、仕事をさせて頂いた。ヤマハに関してだが・・もともとワシはヤマハさんが初めてエレアコを発表したときのデモンストレータをやらせてもらった。その時ヤマハの開発で沢主任さんと言う方に殆んどプロトタイプの10本ほどのエレアコ・ギターを浜松のヤマハ本社工場で選ばせていただいた。ヤマハ5ESLだったかな・・?中間機種だったがダントツに乾いた音がしてたのでコレに決めた。そして沢さんの好意でその後このギターはケメ・佐藤公彦さん、サムちゃん、坂田修さん(後のおかあさんといっしょ・唄のお兄さん)、細坪基佳さん(ふきのとう)のライブ・レコーディングなどフォーク系アーティストの人達のサポートにメインで使わせていただいていた。しかしフィリピン、ダバオにロングステイ・・いや住んじゃおう、と思った時、この湿気の多いダバオに愛着の有るヤマハを持ってくるのは危険(湿気などで楽器が傷む)と思い、信頼でける友人で先日もこのブログに書いた「天山」氏に「このギター、使っててくれるとウレシイんだけんども・・・」といって彼に使って貰うことにした。その代わり新しいシリーズ・コンパスを買ってダバオに持ってきた。とてもコンディションもよく使い易い楽器なのだ。さてガチャガチャと写っているなかでオベイションの右・ヤマハの右にそれぞれ写っている12弦と6弦。これはここミンダナオ島で作った。2年前、ダバオ市のセントラル・バンクと言う展示会場で全ミンダナオ物産展みたいなのがあって、そこにミンダナオ島・サンボアンガからきている楽器やさんが持ってきていたギターに驚いた。すごく綺麗だったのだ。音的には“スゴク”はなかったけど変わった音で面白いしナンテッテモかっこよかった!材料を聞いてまたビックリ。表面板は果物の木、ジャックフルーツで出来ていた。 上の写真の2本は違うけどこれが、ジャックフルーツ・ギター。
ネック、くり貫いて作ってるボディは共に、マホガニーの親戚の木?だそうだ。
実はこのギターは今年4月にCD製作の打ち合わせのためワシはダバオから、ヨシオ氏はロスから、エグゼクティブ・プロデューサー“大ちゃん”氏はロンドンから、みんなでイッセノセで東京に集まった時、PNJK・IS(フィリピン日系人会インターナショナル・スクール)の校歌を作ったときのお礼もしてなかった「天山」氏にお土産として持っていったものだ。
持つとこんな感じ・・カッコいいでしょ!音はカシャカシャしているけれど、ピエゾ・マイクとかしこんでエフェクトするといい感じになると思う。幸い「天山」氏はウインダム・ヒルの有名なクラフト・マンの方とお友達、また日東紡音響などの音響会の最先端の方達と仕事もしてるしお友達。きっと、このギター、ええ~ギターになると思いま!・・あらま、もうこんな時間!おしりに火・・こんなことしてられないのダ。また録音はじめますだ。CU.
AM9時を過ぎるとガンガン暑くなるミンダナオ島は、ここダバオ市。でもワシがゆうべの夢をひきずりながら起きる朝、5時半~6時頃はマダマダ涼しいんだもんネ。近くのセントラル・ウエア・ハウスっていう倉庫のような大きなスーパーで買ったマグカップでコーヒーを飲む。ワシの星座、“いて座”印、インディゴブルー、20ペソで買った。約40円。ホコリかぶってたけれどもちろん新品。 ダバオ流、朝の過ごし方は裏庭に一杯のコーヒーを持って行き音楽を聴く。
こんな感じで“ホゲホゲ”するのでかける音楽は“やさしく、自然体”なのがイイ。
今のマイ・ブームはこれ。ご存知「アントニオ・カルロス・ジョビン」。そして、もう1枚。「天山」のアルバム、“ガイア”なのダ。この2枚は今、1番ダバオの朝5時半から6時の間に合っているのダ。ところでこの「天山」というアーティスト、実はワシの大事な友人の一人で音楽仲間なのだ。ワシがお手伝いさせて貰ってる「フィリピン日系人会インターナショナル・スクール」(PNJK・IS)の校歌の編曲をやった時、天山氏のスタジオで「こんな感じで、ピロピロ~っと・・・」とか「ここからデンデケデン・・」などと普通では意味不明のワシの一言、一言に「こんなかんじ・・?」な~んて言いながら確実に現実の“音”にしてコノ学校の校歌を仕上げてくれた。この校歌は毎朝の朝礼で天山の造ってくれたカラオケに合わせ1000人以上の子供たちが歌ってる。なんか、ウレシイ・・・よね! さて、この「天山」氏、ほかにも沢山の素晴らしい仕事、“人”の力になる仕事をしている。ぜひリンクの“天山ミュージックワールド”を覗いてみてみて。